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雑記

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tumblr:「3.11を忘れない」

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29 January 12

かつて宮本常一が日本各地を歩きながら撮った10万枚の写真に度肝を抜かれた森山大道は、それら10万枚の写真は、誰もが目を奪われ時代を特徴づけるような「突出した出来事」には目もくれず、それらとは正反対の、いわばその裏側の「突出していない日本の場所を全部埋めている」と語った。つまり、今ではほとんどすべて忘れられた「日本人の」日常の暮らしの細部。

また森山大道は、それら10万枚の写真は、圧倒的に徹底的に「通過者の視点」であることを強調した。宮本常一は圧倒的に徹底的に「通過者」だった、と。「物狂いが日本中、巡っているという感じ」とまで評した。たしかに、宮本常一は無常観のなかで旅や念仏そのものを「住処」とするような俳人やある種の僧のごとく歩き続ける人生を送った。郷里といわれる山口県周防大島には定住したわけではなかった。

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Posted: 5:36 PM

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Posted: 5:34 PM
おばあさんというのが97歳で死んだそうだが、その死に方が実にきれいだったという。97歳までひとりで何でもやっていて、死ぬ前の日に自分の身の回りのいらなくなったものを全部捨てて、洗濯物も全部してきれいにたたんで、それが終わると晩御飯だったのだが、今日は食欲がないといって食べずに寝たそうだ。翌朝、娘がおばあちゃん起きるのが遅いなあと思いながら部屋を空けるとそこで死んでいたというのである。どうも自分で死期が分かったのではないだろうかと言っていた。

死に方 (mark-wada blog) (via freedomcat) (via yuco)
2008-02-20 (via gkojay) (via petapeta) (via samazama)

死期を感じた時に、一連の行動を起こさせた精神性について、考えるべき。

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Posted: 5:34 PM
オカマの人も手を抜くとだんだんおっさんになっていくし、女の人も手を抜くとだんだんおっさんになっていくし、赤ちゃんもわりと産まれたてはおっさん顔なので、人間の原型は基本おっさんなんだと思っている

Twitter / もちりー (via shibata616) (via sametimesameplace) (via theemitter) (via fukumatsu) (via n13i) (via inhouseneet

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2009-09-19

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22 January 12

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Posted: 1:51 PM
「あきらめ」ということほど言い易くして行い難いことはない。それは自棄ではない、盲従ではない、事物の情理を尽くして後に初めて許される「魂のおちつき」である。

種田山頭火『山頭火随筆集』
Twitter / @名言bot (via tachibana7023

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(Source: zakurochan)

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Posted: 1:38 PM
どうも分からんのだが、何で「議論」が勝ち負けを決める物になってるんだ?意見Aと意見Bをぶつけて、両方の長所を盛り込んだより良い意見Cを出すのが理想なんじゃないか?

Reblogged: yellowblog

Posted: 1:35 PM
日本人の美意識

『日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、金銭的に儲かろうが関係なく、彼らの手から作り出されるものはみな美しいのです。……庶民が使う安物の陶器を扱っているお店に行くと、色、形、装飾には美の輝きがあります』『ここ日本では、貧しい人の食卓でさえも最高級の優美さと繊細さがある(ベーコン)』

『ヨーロッパ人にとっては、芸術は金に余裕のある裕福な人々の特権にすぎない。ところが日本では、芸術は万人の所有物なのだ(ヒューブナー)』

『田 舎の旅には楽しみが多いが、その一つは道路に添う美しい生垣、戸口の前の奇麗に掃かれた歩道、室内にある物がすべて小ざっぱりとしていい趣味をあらわして いること、可愛らしい茶呑茶碗や土瓶急須、炭火を入れる青銅の器、木目の美しい鏡板、奇妙な木の瘤、花を生けるためにくりぬいた木質のきのこ。これ等の美しい品物はすべて、あたり前の百姓家にあるのである(モース)』

『この国の魅力は下層階級の市井の生活にある。……日常生活の隅々までありふれた品物を美しく飾る技術(チェンバレン)』

Reblogged: yellowblog

Posted: 1:30 PM

最も言いたいことは、
最も言いたくないことのそばにあると私は思う。

だから、表現というものは
恥ずかしさを伴うものだ。

そこで血を流して、持ち出すか、持ち出さないか。

持ち出してみて、
たとえうまく伝わらなかったとしても、
そのことで、あとで、恥ずかしさにヒリヒリしても、
私は、持ち出して、伝えてみる価値はあると思う。

たとえ、相手に「?」で、
わかってもらえなかったとしても、
「いま、この人は、そうとうの恥ずかしさをおして、
覚悟をもって、それを言ったな」ということは、
なぜか伝わっている。

内容以上に、その姿勢こそが、聞く人に、
自分も失敗を恐れず表現してみようかという気にさせる。
表現の風通しがよくなる。

また、恥ずかしさを押してでも、
自分の中から何かを持ち出し、伝えてみようとすることは、
相手を信じていないとできないことだ。
相手を大事に思っていないとできないことだ。

Reblogged: yellowblog

21 January 12
Themed by Hunson. Originally by Josh